2004年頃に紹介していたジオシティーのHPの最後の蒸気機関士の話しの再登場からだ。当時の原文のまま載せています。今現在も 生きていたら ちょうど100歳になっていた感じなんだが 当時は、記憶が曖昧でしたのでね

元機関士のたよりない話7

形見分けと言ったら怒られるが色々整理してたらEF71のパンフレットが出てきた。たぶん電気機関車の運転手の試験の時の教習用車輌かなんかだと思うが 本物の電気機関車の説明書は初めてみたので驚きだ。 それにしてもEF81は知ってるがEF71は,今まで本や雑誌を見てるが ほとんど写真や記述が見当たらなかった。よほど人気がないのかなあと思ってた。

ところが どっこい知る人ず知る名機関車じゃありませんか。それも15両しかないし こちら東北だけの機関車みたいなのだ。これは調べなきゃと本を見たら 今は 山形新幹線に換わって 全て廃車じゃありませんか。それも どこにも写真や記述が本には,載ってなかったのである。そんな時 ヤフーの検索で見てみたら あるは,あるは,沢山あるじゃないですか。この差は、何なんだ!しかし本など人気がない機種は,写真1枚も載せないのかよマイナー機種はつらいのだ。

最後の蒸気機関士14

















EF71は,みちのくのシェルパだったのだ。

EF71は,1968年〜1973年にかけて奥羽本線板谷峠間の交流化に伴い峠区間専用の補助交流機関車として誕生した。全長18.6m 重さ96t出力2700kwの当時としては力持ちであった。そのため 当時 峠の力餅なる駅弁みたいな物があったらしいのだ。何でも この奥羽本線の板谷峠て言うのは,連続33.3%の上り勾配で 途中スイッチバックもあった難所だったらしいのだ。

あの碓氷峠に負けない位の峠らしいのだ。まあ同じ東北に居ながら 知らなかったのだから鉄ちゃん以外知らないのは,しょうがないか。と都合のよい いい訳だ。そんなEF71も1992年に全廃させられているのだ。使い道が無かったらしいと書いてあったのだ。世間は冷たいのだ。

しかし 全廃になってた1輌が この仙台の近くの利府にあったそうなのである。もしかして あの汚い機関車がそうだったのか 毎回通った時見た覚えがあったがEF71とは,知らなかった。 そんなEF71の沢山あるHPを覗いていたら今度 引越しをしてすぐ隣の新幹線の車輌基地に運ばれた写真を発見した。色も塗り直したみたいだ。

 仙台の公園なんかにも本物の蒸気機関車置いてあるが 綺麗に磨いてあるの見たことないなあ。 こういう機関車なんかは,マニアに無償で譲ってやった方が丁寧に大事にするから いたずらや落書きで駄目にするより よっぽどましだと思うのだが どうだろうか?EF71で検索すると沢山の写真が載ってるHPがありますよ。

最後の蒸気機関士13















元機関士のたよりない話8

前のところで情報が確かでないEF71のパンフレットを紹介してしまったので 今度は本物の説明書を紹介する。このDD13ディーゼル機関車の説明書は,DD13の500番台(501〜518)と600番台(601〜651)の重連用の接続する時のブレーキ,空気管などの回路図が書いてある説明書で この他に拡大した青焼きした大きな図面もあった。

この回路図を覚え なをかつ構造も覚えるのだから 数学わからなきゃ出来ないわ。改めて86歳のじいさんに関心させられた。運転手なんて車と同じで運転だけ覚えればいいのかと思ってたけど昔は 構造も覚えなければ駄目なのだ。

そういえば おいちゃんが車の免許取った40年以上前は,構造も試験問題にありエンジンの構造位はわかってたが 今の人は,エンジン自体が何かもわからなくても運転できるから楽だな。だから他に「DD13 51号以降の故障及び現象」など 運転手が故障の原因などの報告書を書いた物まであるのだ。空ノッチ試験などが書いてあり 結構トラブルがあったみたいだ。こんなの今あったら三菱自動車じゃないけど新聞沙汰かもしれないが40年も前のことだから時効だな。

最後の蒸気機関士12


















と こんな感じで HPには、他にも色々な記事を載せていました。 残念なのは、この記事をそのままコピーする事は、文字化けして出来なくて 一々メモ帖に貼付けしながら それをコピーして書いたので 手間が二重に掛かるので 最初 辞めようとも思ったのですが このMMD鉄道ラストデゴイチを 眺めていたら どうしても 紹介したくなり 再登場させてみました。

かれこれ 亡くなってから 11年近くが経過して 資料も ここには、置いていないので どうなった事やら おそらく 焼却されたも知れませんが 一応 当時この資料が残っていた時には、爺さんを連れて利府の新幹線総合車両基地に連れて行って 蒸気機関車などを 見せて思い出させようとしたのですがね

時すでに遅しで ボケて駄目でしたね でも 運転席の椅子に座って 何かを 思い出したように手で コックを握っていたので 感じていたかも知れません 最後まで 自動車さえ ここまで発展しなければ 鉄道は、残っていたと 言ってましたね だから最後まで 自動車の免許は、取得しないで 自転車での通勤を やり遂げた 筋入りの国鉄機関士でしたね 

本当に 生きていた時に 話を聞いていれば 本物の蒸気機関士一筋の話しが聞けたかも知れません 肩に たこが出来ていましたからね〜 阪神が大好きで 筋入りの社会党でしたが その社会党も 無くなり やっぱり 時代だったんでしょうかね 数学は、得意で 頭は、良かったね〜静かで余計な事は、一言もしゃべらず 寡黙でしたが 野球の阪神の事になると熱くて 大のアンチ巨人でした。 おしまい