2004年頃に紹介していたジオシティーのHPの最後の蒸気機関士の話しの再登場からだ。当時の原文のまま載せています。今現在も 生きていたら ちょうど100歳になっていた感じなんだが 当時は、記憶が曖昧でしたのでね

元蒸気機関士のたよりない話4

前にも紹介したがおいちゃんの義理のオヤジさんが蒸気機関車やディーゼル機関車の運転手だった話をしたが 珍しい資料が出てきたので 紹介だ。この資料と言うか たぶん内輪の運転手たちが作った物だと思うのだが仙台運転所の年表見たいなものが書かれている。内のじいさんが最後の機関士で このガリ版では,昭和42年10月に蒸気機関車が全廃になっている。

まあ約40年位前の事なので 前からの機関士は蒸気機関車と共に辞めて行ったのだろう。 じいさんは,当時46歳位で この歳で 当時20歳位の若い兄ちゃんと 又一から勉強して電気機関車やディーゼル機関車の試験に合格して その後も活躍してた。 おいちゃんも後で知ったが 結構電気関係知らないと難しいらしいのだ。 そんな じいさんも86歳だ。最近 体調も悪く 蒸気機関車やディーゼル機関車の話など さっぱり しなくなった。今頃 聞く方が 悪いのだが おいちゃんも 今まで興味無かったからなあ。 

最後の蒸気機関士5

















元蒸気機関士のたよりない話5

 中身は,仙台機関区蒸気機関車80年史のタイトルのガリ版刷りだ。明治19年6月日本鉄道株式会社が機関車庫を設立 20年12月東北本線上野〜塩釜開通に伴い現在の仙石線地下道北側付近に長方形車庫建設 明治24年9月東北本線上野〜青森開通後は 抜粋して書きますが明治31年8月常磐線開通 明治39年11月国鉄に変わる 仙台機関庫になる。

(当時の職制 機関庫主任(区長)機関庫助手(助役)機関士,火夫,掃除夫,炭水夫,合図方,職工 大正5年10月現在地に扇型車庫建立 大正7年機関車及び乗務員の長距離運転開始(区間 仙台〜盛岡 仙台〜白川 仙台〜平)まあ他は建物の新設とか増設の話なので機関車に関したものを抜粋。

昭和25年10月C61形機関車15両によって仙台〜上野長距離運転開始12月仙台〜青森間の長距離運転開始 昭和29年1月C60形機関車10両配置 昭和33年10月特急列車はっかりC61形で仙台〜青森間運転昭和38年仙台電化完成 昭和42年10月常磐線電化に伴い蒸気機関車(C61形3両C60形8両)全廃。 まあこんな感じが書いてある。

最後の蒸気機関士6

















元蒸気機関士のたよりない話6

一緒に蒸気機関車の年表もあったので紹介だ。●印のある物が仙台機関区に在籍してたものらしい。
追伸 これらの資料は,全てJR東日本の車輌基地の方に手元に持っててもしょうがないので預けた。ゴミなのか資料なのか おいちゃんには,わかりませんが 何かの機会にどこかに資料として残ればね。

最後の蒸気機関士7

















元蒸気機関士のたよりない話7

一緒に 表彰状があったので紹介だ。10万キロ無事故記録の記録証みたいだ。 今の人はわからないけど 昔の国鉄の機関士と言えば 鬼の動労と言われた闘う組合員の一団だったのだ。だから国鉄職員と言っても他の職員とは別格扱いだった。そういえば30年位前72時間以上も電車止まった時があったなあ。

まだ義理のオヤジさんじゃ無かったけど あの時は,東京に居て 通勤が出来なくて 確か歩いて2時間以上掛けて会社に通った記憶があるなあ。あの時ほど 動労ほど憎い存在なかったけど JRになって一番徳したのもこの人達じゃないのおかげで 今じゃ誰もスト出来るほどの組合は日本じゃないもんね。

(大きな声じゃ言えないけど 昔心中とか自殺というと機関車に飛び込むケースが多かったらしい だから新聞なんかに載らない飛び込み事故なども多かったと聞いた事がある。その中での無事故それも10万キロは,凄いね。同じ車でも10万キロ走るのは,プロのドライバー以外少ないからね)

最後の蒸気機関士8