小野田寛郎さんが死去のニュースが 飛び込んで来ました。91歳で 死去されたそうで 哀悼の意を表し、お悔やみ申し上げます。アメリカでも「日本人の誇り喚起」 米紙が小野田寛郎さん称賛というニュースも飛び込んで来ました。

最後に 小野田さんの記事を書いたのが ちょうど1年前の 2013年1月2日に10年前の記事という所で 書いていました。

今日は、改めて 小野田寛郎さんとは、どういう人なのかを 2005年7月に書いたものの再放送で 追悼の意を 表したいと思って 再登場させてみました。

今日のニュース記事でたけしが若い人たちに抱く疑問というビートたけし 視野の狭いオタクが飯のタネにされる構図解説という記事が 載っていました。

この記事と 小野田さんという人の生きざまを 並べてしまうのも 変な話なんですが 流されてたまるか という 信念こそが ある意味 どこかで 必要かと 思ってね  どこの世界でも 言葉だけで コロコロ信念を変えて 結局 お金で 動く 輩が 多い事 そういう マッチポンプ的な こずるいインテリみたいな上から目線の人を見ると 小野田さんを 思いだしてね 俺の信念で生きる そういう 強い心が 欲しいね

 おいちゃんは、小野田さんの話題は、10年以上も前から 事あるごとに 書いていました。 あの強い信念みたいなものは、 ぜひ 見習いたいとね 心の師匠として 自分としては、尊敬して来ました。 

まあ 色々人さまのご意見は、あるかもしれませんが やったこととか 結果じゃなく その過程の信念に基づく行動を 実践して来たというのが 凄いと 思ってね 今日は、改めて 再放送だ。

今日は、前から話していた元日本兵でルバング島から帰還した小野田少尉の事に触れたい。別に 何の意味もない ただNHKのBSでたまたま「生き抜く小野田寛郎」という対談ドキュメンタリーを見て これは、今まで思ってた元日本兵小野田少尉と 全然違うと 思ったからなのである。やはり人は、外見や思い込みで判断しては、ならないものだ。写真で 見ての通り 左側は、1974年今から31年前にフィリピンで発見され日本に帰還する時の写真で 当時52
才 そして右側の写真が 現在ブラジルで牧場をしている84才の写真である。 うちの親父と同じ位の歳で この元気さ、そして今でもパソコンに向かって講演原稿書いてるんだから凄い。 さすが元商社マン、只では、起きないサバイバル根性! とここまで 書いても さっぱりわからないだろうね。本当に このTV番組見てないと小野田寛郎て人の本質が 理解できないのだ。要は、小野田さんが帰還した時の歳もおいちゃんも浜田省吾も同じ歳なので この歳で凄いなあという話なのです。

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小野田さんは、1922年和歌山生まれ 16才の時 親父と合わず家を飛び出し 一人で中国の武漢で貿易会社に入り込む、元々商売とかお金に興味があり一攫千金を一人で狙う博徒みたいな性格な所があり負けず嫌いで組織とかに縛られるのが我慢出来ないタイプだ。16から20才に掛けては、酒、麻雀、女など戦争真っ只中なのに貿易会社という事で青春を楽しんだみたいだ。だから イメージから 志願兵でエリート将校にみられるが、徴兵がなければもっと商売とか お金を稼いでいた 博打好きの若者にすぎなかったらしい。 1942年に徴兵を受け2年後久留米の予備仕官学校から あの有名な陸軍中野学校に移動するのである。ここでの話が面白い。陸軍中野学校と言うとスパイ学校でそれこそ軍部に忠誠を求められる特殊機関だと 思うのだが ここに選ばれる人は、強制ではなく自発的に 特殊任務を やってもいい人だけが残るところらしい。というのは、強制的に集めて任務を遂行させても 一人で活動が基本なので 自分の意思がないと途中で投げたり逃げたりすると かえって組織とか他の仲間に迷惑が 掛かるので最初からそういう人間は入れないのが基本らしい。また ここでは、言論も自由で軍部の批判や天皇のあり方共産主義から社会主義まで論じられていたそうです。だから 全ての情報が集まり この戦争があとどの位で日本が負けるということも わかっていたらしいのである。要は、最初から負けるのは、折込済みで 負けた後に敵地に残り いかに任務(ゲリラ戦)を遂行するかなのだ。それも 無制限の年月と 手段は、何でもいい 結果さえ良ければ とんでもない作戦を命令されていたのだ。

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1945年1月にルバング島に到着した小野田さんは、上官より負けた後のゲリラ戦の命令を受けていた。それは、もう日本に勝ち目がなく 時間の問題で必ず負けるが 5年いや10年後に又 勝つ事が出来るのでその間敵の後方で 破壊又はかく乱し続ける事で 生き延びよだった。だから小野田さんは、最初から負ける事も折込み済みだった。しかし部下になる島田,小塚の2名は、それすら知らず終戦を迎えても 小野田さんと行動を共にする事によりその後何年いや何十年もジャングルに身を潜めゲリラ戦をしなければならなかった。その間フィリピン軍との戦闘で島田さんを亡くし やがて小塚さんまでも亡くしてしまう。 またフィリピン軍にも死傷者を出し 投降すれば必ず銃殺されると 覚悟を決めていたらしいのだ。だから何年も何十年も呼びかけても上官の命令はあるし へたに投降すれば殺される しかしまだ死にたくもないのと仲間を殺された気持ちが いっそう 捜索隊などの呼びかけが おとりのように感じられたといっていた。そんな1974年に日本の青年 鈴木紀夫さんと運命的に出会い29年ぶりに日本に生還してきたのである。 

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その辺の詳しい事は、「わがルバン島の30年戦争」小野田寛郎著に書いてありますので、図書館からでも借りて見て下さい。小野田さんは、なんで30年近くも戦い続けたのかと聞かれこの生まれつきの性格なんだと言ってました。負けず嫌いで、けっして愚痴を言わない、済んでしまった事はくよくよしない、目的を持ったら敢行する、自分の信念で行動する、常に一人で行動する。まさにスパイとか情報機関に ぴったりの人間だったのだ。だから 島田、小塚の二人には、悪い事をしたと謝っていた 自分は自分の信念でやってきたが彼らには それすらわからず 銃撃で死なせ 連れて来れなかったのが一番の苦しい出来事と言っていた。

 まあルバング島から生還した小野田さんの話は、皆だいたい知っているが その後の事は、あまり知らない。実は それが一番興味が あったのです。日本に帰って1年も経たない内 小野田さんはブラジルに移民するのです。当時53歳で当時 田中内閣の時で 小野田さんは完全に国の方から管理され 病気でもないのに1ヶ月以上隔離され皇居などに帰還の報告などと言って連れまわされていた。小野田さんは、グアム島で発見された横井正一さんとは、違い 自分の信念で行動していたので 当時の国は、扱いに困ったんだろう。そんな中 家族や周りから時代が変わったからしゃべるな見たいな事を言われ 自分はお金や国の為に戦争に行った訳ではないと 善意で集まったお金などを 全て戦友のためと靖国神社に寄付してしまった。 そこから今度は 軍国主義の先方だと言われ とうとう切れてしまい もう二度と戻りたくないと思ってしまうほど嫌気が差してしまったのである。そして53歳で ブラジルに行って500ヘクタールの土地を友人から借金して手に入れ また裸一環で一から農業と牧場を始めたのです。その時一緒に付いていった奥さんが偉い、今 自分にブラジルでもどこでも行って一からやって来いと言われても出来ないし、その前に女房が逃げて行くそして今ブラジルに渡って30年牧場も成功して 日本では「自然塾」なる小野田財団を作り 1年の半分を日本で残りをブラジルで牧場を今でもしている。考えてみれば 84才にして少年の頃からの夢の大金持ちとは いかないけど 財団作り講演会や本などで 子供たちに「いやな事があったら自分のように自ら飛び出して新しい活路を開け」と言うあたり この人は、只では、起きない人だ。凄いの一言に尽きる。追伸 何でも8月13日にフジTVで夜 小野田さんの生き方をドラマ化したやつを放送するらしいです。中村獅子堂が小野田さんを演じるらしいです。小野田さんのHPよりほら だから 只では、起きないんですよ、この人は。 パソコンもするし84才ですよ。(現在88歳か?)


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いやあ ここまで書いてくると疲れてくるね。まあ今日は休みなので まとめて書いてるけど。こういうの好きなんだね。特に人間が 自分の信念で生きてる人が それがいいのかどうかは結局その人でしか 判断できないからね。気骨ていうの今はそういう人居ないでしょ。明治維新の頃は、居たけど 今は日本には見当たらないね。そんな中 今日の小野田さんと 前に書いた「ゆきゆきて神軍」の奥崎謙三さんは、まったく正反対のように見えるところがありますが なんか同じ年齢84と85(享年)で 似ているところがあるような ないような、、そう「信念」と言う点では 2人とも同じだ。これが今おいちゃんに 一番欠けているところかもしれない。「信念」を持つと言う事は、命を掛ける事と同じだから弱い自分なんかは 中々出来ないのだ。その点 この人達は間違っているかもしれないが「信念」という部分では、凄いのだ。写真は、左が奥崎謙三氏 右が小野田寛郎氏

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その方の生き方が どうのこうのじゃなくね こういう信念を 持って生きている人って おいちゃん尊敬しちゃうんだね なんせ 自分に一番欠けてるかもしれないからね これからの時代 これが一番 男として必要かもね 

もうすぐ8月15日の終戦記念日ですが 去年亡くなった 親父も小野田さんや奥崎謙三氏と 同じ年齢で 親父の場合は,シベリア虜留されていた過去がありました。親父も
 よく言ってたけどね 上司が いい奴か嫌な奴かで その人の生死まで 決まっちゃうのが 戦争だから 国がどうのこうのより現場なんぞは,その上司の考え次第で どうにでも なっちゃうんじゃないだろうかね 戦争って 誰に責任が あるんでしょうかね 某団体さんに 言われた事が あるのですがね アンタの会社がどうのこうのじゃないんだ。あんた個人は,どう思ってるんだと 凄まれた事があるのだが 今考えて見るとね これって正論かもしれませんなあ〜

と 当時 熱く紹介していましたね  小野田さんみたいな信念で このVRM3を 続けようと 思ったきっかけの話が 2011年9月にVRM3におけるATS自動列車停止装置 は、駄目かという 所で 少し書いていましたね


抜粋すると

おいちゃんが 尊敬している小野田寛郎氏の名言の中に 小野田さんの おふくろさんの言葉が 載っています。

いつも美味しいご飯を食べられ、きれいな着物を着られるのは、誰のおかげですか。
たとえお金があっても、それを作ってくれる人がいなければ、手に入らないのですよ
だから「世間」ではなく、「世間様」というのです。(
小野田寛郎の母の名言)」

これを VRM3の話に 戻せば 

いつも楽しく遊べるVRM3は、誰が 作ったのですか?たとえお金があっても、それを作ってくれる人がいなければ、手に入らないのですよ。」

と IMAGIC様さま なのだが しかし それを 逆に 考えると

いつも楽しく遊べるVRMは、誰が 買っているのですか?たとえ素晴らしいVRMであっても、それを使いこなせない人がいれば、それを 誰でも使い易いようにしてやるのが メーカーなのですよ

と おいちゃんは、考えているのです。

と 小野田さんの 話を 例えに 色々書いていましたねー  

要するに おいらは、おいらの道を行く ただ それを 言いたかっただけかもしれないね

ここでのコメント欄での やりとりが 当時は、まだ VRM3も なんとかなると思っていたのか熱く燃えていたね 

最後に

小野田寛郎さんを 尊敬していると書いてきましたが それは、その信念を持った生き方が 好きでね 氏の考えている主張と自分の考えは、一致しないところもあるのでね  自分の場合は、あくまでも いいどこ取りの 勝手な信者とでも 思って下さい ミーハーなのです。