女房の親父が 先週享年89歳で 亡くなった。 前にも 少し 本店のここで 何回か 触れて書いて置いたが 約3年間の闘病生活だった。去年は,親父が亡くなり これから益々 こういう機会が 多くなる年齢だ。いや 逆に いつ自分が 先に逝っても おかしくない立場なのだが「人の死を見て己を知る」じゃないけど あと何年生きるんだろうか? とマジで考えると こういうアホを書いて 人生を送るのも まあ それは,それでいいんじゃないのかと 懲りずに今日も書いてるのだ。

そんな 義理の親父さんが 急行八甲田のC62の蒸気機関士をしていた話を 聞いたので 少し書いてみようかと 思った次第だ。東北本線の急行八甲田は,優等列車と呼ばれていた時代の寝台夜行列車だ。

この急行八甲田を調べていたら これが結構面白いのだ。電気機関車に変わった時から この前まで紹介したEF57,EF58が 黒磯あたりまで牽引してたみたいなのだ。まったく知りませんでした。

急行八甲田なのだが どうも 義理の親父さんは, ここに前に書いた 平〜仙台間のC62の話を 聞いていたから 本当かいなと思ったのだが 叔父さんが実際に見ていたと言ってるので 間違いないのだろう

昭和16年に19歳で蒸気機関士になり昭和36年に電気機関士,昭和43年に液体式ディーゼル機関士を拝命(昔は,こういう呼び方だった)して 国鉄民営化の直前まで機関士をして その間 電車などは,運転してないようで 最後は,ディーゼル機関車で 貨物の牽引して 最後まで機関士で 国鉄を退職したみたいだ。

そんな親父さんの 仙台機関区時代の乗務した車輌を紹介して置きます。★印が 運転した事がある 蒸気機関車だそうです。D51も 運転は,したことあるそうです。 

最後の機関士1