新VRM3★井戸端会議

VRM3こそお金が掛からない大人の一人遊びだ。そういう考えの方どうぞ!

2019年10月

鉄道模型部屋の紹介動画から

YouTube動画の中の鉄道模型部屋の動画から紹介だ。 アンチ鉄道模型と言いながら 今まで 一切鉄道模型をやっていなかった おいちゃんが 何を血迷ったのか 中古の動かないHOゲージの機関車を手に入れPCの机の目の前に置いて毎日眺めながら このブログなどを 書いています。

RM-MODELSの企画記事で ホビールーム探訪という特集記事があるのですが あれが好きでね どういう生活レベルの人が どういう感じで この鉄道模型趣味を 楽しんでいるのか そこが気になってね でも おいちゃんのように 6畳一間で 寝泊りできるベットと一緒のホビールームは、未だかって 見た事がないので 24時間好きな時間に PCが触れる おいちゃんの部屋には、負けてるぜ!と勝手に強がりだ。なんせ こっちは、筋金入りの家庭内別居を 何十年も 続けている 変わり者夫婦なのでね (理由は、聞くな色々ある家庭の事情だ。それでお互い幸せだと思ったら それでいいのだ。仮面夫婦では、ない寝床が違うだけなのだ。)

と 余計な事は、どうでもいいか さて この鉄道模型部屋と言っても 色々あるのだが まずは、おいちゃんと同じ6畳一間の鉄道模型部屋の動画から紹介だ。

鉄道模型部屋紹介2




















6畳のスペース3600丕2700个法3480丕1500个離譽ぅ▲Ε箸鯒枌屬靴討い訶監嗣老辛屋からの紹介だ。幅が3480个覆里如)榲に幅は、目一杯な感じだが 奥行きが1500个覆里如,泙1200亢瓩は、余裕があるので 幅900个離戰奪匹髻|屬い燭300个侶箚屬靴出来ないので コントローラーの台は、置けそうにないので おいちゃんが 理想にしている24時間 鉄道模型が いつでも楽しめる部屋は、ちと難しいか



ここの動画の中でも 書いてますが 中央の複線高架駅のホームには、最大11両編成が 停車出来ると書いて有りました。という事は、6畳の部屋では、新幹線の16両編成は、配置出来ないみたいですね う〜ん 残念! そうだとコンテナ貨物20両編成となると倍の12畳は、必要になるのか

そう考えると この鉄道模型シミュレーターの仮想鉄道模型は、いいんだよね なんせ 寝床がある部屋で 24時間 楽しむ気になれば いつでも 出来るからね しかも 場所を取らないし お金も掛からないVRM3版ならね 別の部屋にレイアウトがあると おそらく毎日は、行かないでしょうね

次は、もっと ドでかい鉄道模型部屋の動画から紹介だ。

鉄道模型部屋紹介1


















これは、自宅と言いながら 完全に鉄道模型サークルの為の部屋みたいな感じの匂いがする鉄道模型部屋からだ。 まずは、作った 本人様の 紹介動画からだ。



と思ったら 作った方と ここの持ち主の方と この紹介動画をつくった人は、これまた違うようで それらを ひっくるめて紹介している動画が こちらだ。





やっぱり 鉄道模型サークルみたいな倶楽部の人達が集まって運営しているレイアウトみたいだ。大きさも 35畳もあると 言うのだから そりゃ6畳一間のレイアウトとは、全然 規模が違います。

でも おいちゃんのような こういう群れるのが苦手な一匹オオカミ的な 要は、変人からすると どっちかというと 一人で遊べる6畳一間のレイアウトの方が 好きですね

理想は、好きな時間に いつでも遊べるレイアウトなんですがね なんか こういうレイアウトを眺めていると 一人で 横14mx縦5.5mサイズのレイアウトなどを 作っていると 益々燃えて来ますね〜

アンチ鉄道模型の性格が 後発組で始めると 中々 お金が掛かる鉄道模型趣味も 例え中古の鉄道模型でさえ 狙っていたHOゲージを 根こそぎ 横から 金の力で 買い占められると タイミングが 悪かったと 思う反面 売る店も 知恵を付けて 値段を 高くしたりと どうしても 常連さんに情報が行くみたいで 面白くないので
やっぱり ここの鉄道模型シミュレーターVRM3版で 頑張りますかね

中々 一人で やっていると ここの鉄道模型シミュレーターでもそうですが 情報が入らないのですよ 昔のような2chのような裏情報も見られないし 会議室なんて サイトが更新して どこに入っているのかも わからなくなったので VRMNXの 今度のキハ58だって 客室の座席があるのかないのか 直接VRMNXを やっていない人は、対象外みたいな感じがして 昔は、そうでは、なかったような気がしたんだがね

制作途中だったD51なめくじは、その後 どうなったのか? なぜ C11は、作らないのか?

VRM-NX ローカルな日和がGoodだ。

amajokeさんのVRM-NX ローカルな日和がGoodだったので 勝手に紹介だ。なんか哀愁を感じて 勝手にYouTube動画の画像から紹介だ。

amajokeさんローカルな日和1














まず このロケーションが いいのだ。夕暮れの日が早く落ちる まさに今の10月末の季節で コンビニの看板が明るく輝いて見えるのが 家路を急いでいる乗客の姿を 思い浮かぶのだ。

amajokeさんローカルな日和2














この段々になっている畑と 鉄道の通信や電気の電柱が これまたいい そして 緩くカーブしながらの線路が またいいのだ。真っ暗でもない かといって明るくもない景色は、ちゃんと見える そこがまたいい

amajokeさんローカルな日和3














そして もう少し時間が経過して 駅構内に入る手前の踏切からだ。月明りに照らされて 踏切の照明灯の明かりが バスを照らしているのが これまたGoodでいいねえ〜

amajokeさんローカルな日和4














こちらは、駅構内の旅客用通路の踏切のある部分からだ。 いや 思い出しますね〜 1年前までは、現場仕事で 夜間作業などにも 行ってたので こういう感じ 凄く わかります。

amajokeさんローカルな日和5














駅のホームの屋根のある部分でしょうか この雰囲気も Goodですね 前の昼間の画像と全然違う感じに見えるのは、自分だけでしょうかね 怒られるかも知れませんが やっぱりTomixのレールが どうしても昼間の画像だと そこに目が行ってしまってね そこが ちと気になっていましたが このロケーションの画像は、違和感全然なしで しかも ローカル線の夜間の情景が ドラマのように感じますね 

amajokeさんローカルな日和6















最後の部分のドアが 開いて出発を待っている感じが 伝わります。(それとも回送なら消灯してますね) ただ ひとつ気になったのが 運転席は、中がちゃんと見えるのですが  客室の明かりと それと 座席とか見えなかったのですが この車両は、VRMNXなのでしょうか それとも USO800さんのキハ58の自作車両なのか どっちなんでしょうかね 確か自作車両の方は、座席が あったようにも見えたのですが 

久しぶりに 鉄道模型シミュレーターの動画で ドラマのような雰囲気の動画を見たので 勝手に紹介しました。

Oゲージの原点から

YouTube動画を 眺めていたら アメリアの昔の鉄道模型の動画を発見だ。Lionel - Trains という 1915年から 今現在のOゲージの原型の3本線ブリキレールの鉄道模型を販売した会社の鉄道模型というのか鉄道おもちゃみたいな感じなのだが まあ これが 凄いのですよ ゆっくり少しずつ紹だ。

Lionel-trains-1

















このライオネルという会社は、幾度も 倒産の危機をくぐり抜け経営者も 変わりながら 今でも 販売されているみたいですが レールのゲージは、同じでも 最新の線路は、3本線じゃないみたいですね



どうですか ドアは、開くは、パンタグラフは、稼働するは、おまけに煙も出るのです。これらのOゲージの原点みたいな鉄道模型が集まった博物館のようなレイアウト動画が こちらの1920年〜196年に作られたOゲージ車両や建物だ。

48分程と 少し長い動画ですが 鉄道模型の車両だけじゃなく 出て来る建物や工場などの仕掛けが 凄いのです。 まあ 最後まで ご覧下さいね



もう1本も 紹介しようと思ったのですが この48分の動画を見てしまうと お腹一杯になるので ここでは、個人所有のレイアウトhttps://youtu.be/SeDWDgPotkIの紹介だけで良かったらご覧下さい

しかし こういう鉄道模型のおもちゃというのか 玩具なのかどうかは、わかりませんが 日本でもアメリカでも ハマっているのは、大人がほとんどみたいですね このLionel - Trains も 古くは、ウォルト・ディズニーがこよなく愛し1970年代には、アメリカのシンガーのジョニー・キャシュが お気に入りで 自分のTV番組に使ったり そして なんと あのロックの大御所ニール・ヤングも このLionel - Trains のコレクタ−で ライオネル社の役員にもなっていたとの話も 聞きました。

そう考えると ここの鉄道模型シミュレーターで 遊んでいるという鉄道好きの有名人の噂は、聞きませんね 一人くらい あの鉄道BIG4じゃないが ゲーム好き鉄道好きで 一度くらいやった事がある人は、居そうに思うのだが これは、鉄道シミュレーターを もっとメジャーにしないと やっぱり どこも取り上げないか

仮想東北本線越河駅レイアウト196-C62重連

ejimaさんのMMD鉄道D51大作ドラマ「ラストデゴイチ」に 触発されて 仮想東北本線越河駅レイアウトで C62蒸気機関車重連セキ3000石炭車20両編成の動画を 作ってみました。

越河レイアウト特急シリーズ番外C62重連セキ3000-1
















D51で セキ3000を牽引したかったのですが 残念ながらVRM3版には、C62しかなかったので C62の先頭車が宮原機関区所属で 後続車が つばめメーク付きのC62からだ。

越河レイアウト特急シリーズ番外C62重連セキ3000-2
















この蒸気機関車の主連棒(メインロッド)の色が 機関車によって白や赤や緑など 色を付けるのは、何か意味があるのでしょうかね

越河レイアウト特急シリーズ番外C62重連セキ3000-3

















そういえば VRMNX 蒸気機関車の煙を品質アップというブログ記事がメーカーさんから出ていました。蒸気機関車の煙を改善&パーティクルに拡大縮小オフセットパラメータを追加しました。と

越河レイアウト特急シリーズ番外C62重連セキ3000-4
















書いて有りましたが これ VRM5版の第8A号のD51に採用してくれていたら最高でしたがね

越河レイアウト特急シリーズ番外C62重連セキ3000-5
















USO800さんのD51の動画を見て どうしても あの迫力ある煙と蒸気が欲しくて VRMonLineのエミッター部品を購入したのだが パッケージ版には、使えなくて まあ110ptと 残っていたポイントで 駄目元で やってみましたが この110ptの為に わざわざ パッケージ版の5+号の12840円を 購入しないと この110円のエミッターの部品が使えない

越河レイアウト特急シリーズ番外C62重連セキ3000-6
















これが 昔のVRM3版なら 基本のセットとしてレールなどは、どの号数にも入っていたもんですがね

越河レイアウト特急シリーズ番外C62重連セキ3000-7
















たかが110円の部品ひとつで 蒸気機関車の煙と蒸気の迫力が 全然違うのでね そう考えると 110円高くても パッケージ版の5号以降の号数に入れてもいいんじゃないのかと 思ったら アホらしくなってしまった。

越河レイアウト特急シリーズ番外C62重連セキ3000-8

















自動制御や自動センサーによる信号システムが売りのVRM5版なら 最低限のシステムは、パッケージ版の どの号数にも入れるべきじゃないのかと考えてしまうと VRM3版の「はじめる鉄道模型シミュレーター」を 販売していた当時とは、販売方式が 違うんでしょうかね

越河レイアウト特急シリーズ番外C62重連セキ3000-9
















まあ こんな110円の部品ひとつで 愚痴を書いているのは、おいちゃんだけでしょうが でも これって フルで揃えないと楽しめない鉄道模型シミュレーターというゲームソフトの根本だと思ってね

越河レイアウト特急シリーズ番外C62重連セキ3000-10
















ない部品は、高くても 買い揃えられる そしてパッケージ版とかVRMonLine版とかの垣根を 通り越して共有できるようにしてこそ本来の鉄道模型シミュレーターというゲームソフトの基本的な販売方法だと思うのだが

なんで こういう話になるんでしょうか 未だにVRM5版とVRMNXの共有って どうなのかとか 野次馬なのだが気になる これもRailSimやMMD鉄道の自由度に 影響されているのでしょうかね

だって同じVRM5版というゲームでありながら 部品の共有が出来ないって おかしくないですかね 値段が高くても 本来は、共有できるようにするのが ユーザー目線だと思うのだがね



なんか「ラストデゴイチ」のインパクトが強かったのか 有料ゲームなのに どうして こうも購入するのに サードパーティーユーザーは、色々考えなくちゃならないのか そこが よく わからないのだ。

MMD鉄道ラストデゴイチからの続き6

2004年頃に紹介していたジオシティーのHPの最後の蒸気機関士の話しの再登場からだ。当時の原文のまま載せています。今現在も 生きていたら ちょうど100歳になっていた感じなんだが 当時は、記憶が曖昧でしたのでね

元機関士のたよりない話7

形見分けと言ったら怒られるが色々整理してたらEF71のパンフレットが出てきた。たぶん電気機関車の運転手の試験の時の教習用車輌かなんかだと思うが 本物の電気機関車の説明書は初めてみたので驚きだ。 それにしてもEF81は知ってるがEF71は,今まで本や雑誌を見てるが ほとんど写真や記述が見当たらなかった。よほど人気がないのかなあと思ってた。

ところが どっこい知る人ず知る名機関車じゃありませんか。それも15両しかないし こちら東北だけの機関車みたいなのだ。これは調べなきゃと本を見たら 今は 山形新幹線に換わって 全て廃車じゃありませんか。それも どこにも写真や記述が本には,載ってなかったのである。そんな時 ヤフーの検索で見てみたら あるは,あるは,沢山あるじゃないですか。この差は、何なんだ!しかし本など人気がない機種は,写真1枚も載せないのかよマイナー機種はつらいのだ。

最後の蒸気機関士14

















EF71は,みちのくのシェルパだったのだ。

EF71は,1968年〜1973年にかけて奥羽本線板谷峠間の交流化に伴い峠区間専用の補助交流機関車として誕生した。全長18.6m 重さ96t出力2700kwの当時としては力持ちであった。そのため 当時 峠の力餅なる駅弁みたいな物があったらしいのだ。何でも この奥羽本線の板谷峠て言うのは,連続33.3%の上り勾配で 途中スイッチバックもあった難所だったらしいのだ。

あの碓氷峠に負けない位の峠らしいのだ。まあ同じ東北に居ながら 知らなかったのだから鉄ちゃん以外知らないのは,しょうがないか。と都合のよい いい訳だ。そんなEF71も1992年に全廃させられているのだ。使い道が無かったらしいと書いてあったのだ。世間は冷たいのだ。

しかし 全廃になってた1輌が この仙台の近くの利府にあったそうなのである。もしかして あの汚い機関車がそうだったのか 毎回通った時見た覚えがあったがEF71とは,知らなかった。 そんなEF71の沢山あるHPを覗いていたら今度 引越しをしてすぐ隣の新幹線の車輌基地に運ばれた写真を発見した。色も塗り直したみたいだ。

 仙台の公園なんかにも本物の蒸気機関車置いてあるが 綺麗に磨いてあるの見たことないなあ。 こういう機関車なんかは,マニアに無償で譲ってやった方が丁寧に大事にするから いたずらや落書きで駄目にするより よっぽどましだと思うのだが どうだろうか?EF71で検索すると沢山の写真が載ってるHPがありますよ。

最後の蒸気機関士13















元機関士のたよりない話8

前のところで情報が確かでないEF71のパンフレットを紹介してしまったので 今度は本物の説明書を紹介する。このDD13ディーゼル機関車の説明書は,DD13の500番台(501〜518)と600番台(601〜651)の重連用の接続する時のブレーキ,空気管などの回路図が書いてある説明書で この他に拡大した青焼きした大きな図面もあった。

この回路図を覚え なをかつ構造も覚えるのだから 数学わからなきゃ出来ないわ。改めて86歳のじいさんに関心させられた。運転手なんて車と同じで運転だけ覚えればいいのかと思ってたけど昔は 構造も覚えなければ駄目なのだ。

そういえば おいちゃんが車の免許取った40年以上前は,構造も試験問題にありエンジンの構造位はわかってたが 今の人は,エンジン自体が何かもわからなくても運転できるから楽だな。だから他に「DD13 51号以降の故障及び現象」など 運転手が故障の原因などの報告書を書いた物まであるのだ。空ノッチ試験などが書いてあり 結構トラブルがあったみたいだ。こんなの今あったら三菱自動車じゃないけど新聞沙汰かもしれないが40年も前のことだから時効だな。

最後の蒸気機関士12


















と こんな感じで HPには、他にも色々な記事を載せていました。 残念なのは、この記事をそのままコピーする事は、文字化けして出来なくて 一々メモ帖に貼付けしながら それをコピーして書いたので 手間が二重に掛かるので 最初 辞めようとも思ったのですが このMMD鉄道ラストデゴイチを 眺めていたら どうしても 紹介したくなり 再登場させてみました。

かれこれ 亡くなってから 11年近くが経過して 資料も ここには、置いていないので どうなった事やら おそらく 焼却されたも知れませんが 一応 当時この資料が残っていた時には、爺さんを連れて利府の新幹線総合車両基地に連れて行って 蒸気機関車などを 見せて思い出させようとしたのですがね

時すでに遅しで ボケて駄目でしたね でも 運転席の椅子に座って 何かを 思い出したように手で コックを握っていたので 感じていたかも知れません 最後まで 自動車さえ ここまで発展しなければ 鉄道は、残っていたと 言ってましたね だから最後まで 自動車の免許は、取得しないで 自転車での通勤を やり遂げた 筋入りの国鉄機関士でしたね 

本当に 生きていた時に 話を聞いていれば 本物の蒸気機関士一筋の話しが聞けたかも知れません 肩に たこが出来ていましたからね〜 阪神が大好きで 筋入りの社会党でしたが その社会党も 無くなり やっぱり 時代だったんでしょうかね 数学は、得意で 頭は、良かったね〜静かで余計な事は、一言もしゃべらず 寡黙でしたが 野球の阪神の事になると熱くて 大のアンチ巨人でした。 おしまい

MMD鉄道ラストデゴイチからの続き5

2004年頃に紹介していたジオシティーのHPの最後の蒸気機関士の話しの再登場からだ。当時の原文のまま載せています。今現在も 生きていたら ちょうど100歳になっていた感じなんだが 当時は、記憶が曖昧でしたのでね

蒸気機関車80年史より1

昨日 紹介した蒸気機関車80年史の後ろの方にあった蒸気機関車の年代表から仙台機関区在籍の蒸気機関車を紹介する。このガリ版印刷の字だけでは,わからないので 「蒸気機関車メカニズム図鑑」グランプリ社のイラストを拝借して載せた。最初は,明治時代から大正にかけのタンク機関車とテンダー機関車を載せてみた。

最後の蒸気機関士9











蒸気機関車80年史2

こちらは昭和の初期の蒸気機関車である。なを年号と番号だけのやつは,参考イラストがなかったので 一応在籍の車輌だけ番号を紹介する。この中では,C55流線型やじいちゃんいわく運転手から一番カッコいいと言われてたC57あたりが 一押しだ。

最後の蒸気機関士10











蒸気機関車80年史3
最後は,戦時中から戦後にかけての蒸気機関車だ。まあここで誰でも知ってる事だけどCは,動輪3つでDは,動輪4つ そしてCは旅客専用でDは貨物専用なのだ。ここまでは,なんとなくわかっていたがスピードが違うとは,知らなかったのだ。要するに動輪が大きい方がスピードが出る高速タイプで動輪が小さい方がパワータイプなのだ。これじいちゃんに聞いて始めて知ったのだ。だから 仙台機関区は旅客専用だからC51,C62などがあり 貨物専用のD51,D62は隣の長町機関区の配属で分かれていたらしいのだ。 でも長町機関区でD51なども運転したとも言っていた。

最後の蒸気機関士11

MMD鉄道ラストデゴイチからの続き4

2004年頃に紹介していたジオシティーのHPの最後の蒸気機関士の話しの再登場からだ。当時の原文のまま載せています。今現在も 生きていたら ちょうど100歳になっていた感じなんだが 当時は、記憶が曖昧でしたのでね

元蒸気機関士のたよりない話4

前にも紹介したがおいちゃんの義理のオヤジさんが蒸気機関車やディーゼル機関車の運転手だった話をしたが 珍しい資料が出てきたので 紹介だ。この資料と言うか たぶん内輪の運転手たちが作った物だと思うのだが仙台運転所の年表見たいなものが書かれている。内のじいさんが最後の機関士で このガリ版では,昭和42年10月に蒸気機関車が全廃になっている。

まあ約40年位前の事なので 前からの機関士は蒸気機関車と共に辞めて行ったのだろう。 じいさんは,当時46歳位で この歳で 当時20歳位の若い兄ちゃんと 又一から勉強して電気機関車やディーゼル機関車の試験に合格して その後も活躍してた。 おいちゃんも後で知ったが 結構電気関係知らないと難しいらしいのだ。 そんな じいさんも86歳だ。最近 体調も悪く 蒸気機関車やディーゼル機関車の話など さっぱり しなくなった。今頃 聞く方が 悪いのだが おいちゃんも 今まで興味無かったからなあ。 

最後の蒸気機関士5

















元蒸気機関士のたよりない話5

 中身は,仙台機関区蒸気機関車80年史のタイトルのガリ版刷りだ。明治19年6月日本鉄道株式会社が機関車庫を設立 20年12月東北本線上野〜塩釜開通に伴い現在の仙石線地下道北側付近に長方形車庫建設 明治24年9月東北本線上野〜青森開通後は 抜粋して書きますが明治31年8月常磐線開通 明治39年11月国鉄に変わる 仙台機関庫になる。

(当時の職制 機関庫主任(区長)機関庫助手(助役)機関士,火夫,掃除夫,炭水夫,合図方,職工 大正5年10月現在地に扇型車庫建立 大正7年機関車及び乗務員の長距離運転開始(区間 仙台〜盛岡 仙台〜白川 仙台〜平)まあ他は建物の新設とか増設の話なので機関車に関したものを抜粋。

昭和25年10月C61形機関車15両によって仙台〜上野長距離運転開始12月仙台〜青森間の長距離運転開始 昭和29年1月C60形機関車10両配置 昭和33年10月特急列車はっかりC61形で仙台〜青森間運転昭和38年仙台電化完成 昭和42年10月常磐線電化に伴い蒸気機関車(C61形3両C60形8両)全廃。 まあこんな感じが書いてある。

最後の蒸気機関士6

















元蒸気機関士のたよりない話6

一緒に蒸気機関車の年表もあったので紹介だ。●印のある物が仙台機関区に在籍してたものらしい。
追伸 これらの資料は,全てJR東日本の車輌基地の方に手元に持っててもしょうがないので預けた。ゴミなのか資料なのか おいちゃんには,わかりませんが 何かの機会にどこかに資料として残ればね。

最後の蒸気機関士7

















元蒸気機関士のたよりない話7

一緒に 表彰状があったので紹介だ。10万キロ無事故記録の記録証みたいだ。 今の人はわからないけど 昔の国鉄の機関士と言えば 鬼の動労と言われた闘う組合員の一団だったのだ。だから国鉄職員と言っても他の職員とは別格扱いだった。そういえば30年位前72時間以上も電車止まった時があったなあ。

まだ義理のオヤジさんじゃ無かったけど あの時は,東京に居て 通勤が出来なくて 確か歩いて2時間以上掛けて会社に通った記憶があるなあ。あの時ほど 動労ほど憎い存在なかったけど JRになって一番徳したのもこの人達じゃないのおかげで 今じゃ誰もスト出来るほどの組合は日本じゃないもんね。

(大きな声じゃ言えないけど 昔心中とか自殺というと機関車に飛び込むケースが多かったらしい だから新聞なんかに載らない飛び込み事故なども多かったと聞いた事がある。その中での無事故それも10万キロは,凄いね。同じ車でも10万キロ走るのは,プロのドライバー以外少ないからね)

最後の蒸気機関士8

MMD鉄道ラストデゴイチからの続き3

前に紹介したジオシティーのHPの最後の蒸気機関士の話しの再登場からだ。当時の原文のまま載せています。今現在も 生きていたら ちょうど100歳になっていた感じなんだが 当時は、記憶が曖昧でしたのでね


元機関士のたよりない話2

今回 聞く方が何も知らないのではと思い協力助っ人持参で行きました。まずひとつはあの「山と渓谷社の20世紀栄光の蒸気機関車」の写真集とこれが凄いのですが「蒸気機関車メカニズム図鑑」グランプリ出版 細川武志著 この本の凄い所は 本人がイラスト(テクニカルイラスト)を書いてメカニズムを まるで車のサービスマニュアルのように書いてる所です。

前置きは,さておき前回の確認からするとおもに運転したのは,常磐線の仙台-平間が多く次が東北本線の盛岡まで仙山線は仙台から作並までが多かったそうだ。もちろん蒸気機関車の頃の話なのだが いつ頃と聞くとこれが「まだらボケ」が出るので細かい事は記憶が飛んでるのだ。それでも思い出して 話したので 聞いてみた。東北本線と常磐線では,C51,C50が一番多く運転して 後半はC60,C61,C62を運転したらしいそしてたまにC55,C57,C58を運転したが なぜかC56だけはないらしい。

それと仙山線では,C10,C11,C12を運転したらしい。本来仙台機関区の配属なので旅客が専門でC51、C61などスピードの出る機関車専門だったようだ。でも同じ仙台でも長町機関区でD51などで貨物を運んだと 初めて今日聞いた。旅客と貨物では,機関車の特徴が違うらしくD51などはスピードよりパワーの方が大事だし 又C11などテンダーのない蒸気機関車は,走行距離が短く 近郊向けなのだそうだ。鉄道マニアなら当り前の話だが ド素人のおいちゃんが聞いてるので そんなC51もD51も動輪の数が違うでけかなと思ってたので 細かい区分けを初めて知ったのである。しかし本当かどうか調べて見ないとわからないので疲れるのだ。

最後の蒸気機関士4

























元機関士のたよりない話3


また爺さんの頼りない話の続きだ。爺さんの常磐線の平-仙台間の話だが どうも蒸気機関車が廃止になって約35年 またその蒸気機関車をその前に30年以上も運転してたのでC51,C61,C62が ごっちゃになって断片的に覚えてるらしい。何でも平-仙台間は約150Km位あるのだが 片道約3時間掛けて運転して4時間位休んで又3時間くらいで帰って来るのが多かったらしい。

一番聞きたかったのは,どのくらい距離を走るのかだった。要するに石炭と水を満タンにしてだ。爺さんいわく水が17t位で石炭7t位で150kmでは,あまり盛岡辺り約200kmまでは,補給しなくて走ると言っていた。しかし この話もC51なのかC62なのか わからないので疑問だ。そこで参考までに調べたがD51のテンダーだと水20t石炭8tらしい。まんざらデタラメでもないみたいだ。

平-仙台間は,比較的平で蒸気機関車1両で客車10輌位牽引して行くそうだ。たまに重連の場合だと12,13輌を牽引する事もあるそうだ。それと東北本線の福島方面の場合は ほとんど重連だそうだ。それと知らなかったのだが画像のイラストのC55の流線型の機関車も運転したそうだ。そしてC57がスマートで一番カッコ良かったと言っていた。やっぱり資料がないと 話にならないものだ。

しかし蒸気機関車てのは,知ると面白いね。あのデカイ釜の中が水だらけで あのデフレくターと煙突の形状が トンネルなどの走行の時に煙が運転台に入らないようにするため改良をして来たことなど 知れば知るほど面白いのだ。とくにこの「蒸気機関車メカニズム図鑑」は 本当に参考になる。運転してる本人が その気ないので 全然資料がないので 本当に残念だ。


MMD鉄道ラストデゴイチからの続き2

前回紹介したジオシティーのHPの最後の蒸気機関士の話しの再登場からだ。当時の原文のまま載せています。今現在も 生きていたら ちょうど100歳になっていた感じなんだが 当時は、記憶が曖昧でしたのでね

元機関士のたよりない話1

女房の親父さんは,元国鉄の機関士で蒸気,電気,ディーゼルの3種類の機関車を運転した今となっては珍しい爺さんなんだが,いかんせん85歳近いのでちょこっと話が通じないところがある。今日用事があったので寄って少し話をしたのだが 熊本で走ってたSLあそBOY58654形の8620形蒸気機関車が28日で廃止された話をしてみたら なんと8620形も運転したことがあると言うではないか。

ならもう少し聞いて見るとおいちゃんの知らない蒸気機関車の名前が沢山でてくるのだ。確かに爺さんは,ちょっと記憶が飛んでるところがあるが 今帰って来て調べて見たら本当にあったので報告だ。爺さんは,70年前くらいに国鉄に入り蒸気の釜焚きから すぐ機関士になった当時としては,優秀な機関士なので蒸気から電気に替わってもすぐ覚えられた爺さんだ。

なんせ当時中学行ってないけど数学だけは得意だったらしい。仙台の運転所を拠点に北は盛岡 南は東北線が郡山,常磐線が平までと仙山線が山形あたりを中心に運転していたらしい。まあここら辺もうる覚えで正確かどうかはわからない。 でも機関車の番号を言うとすらすら答えが出てくるのだ。前に他で話したがC11,C51,C61そしてED75,DD51までは,前に聞いていたが 今回初めて8620,C10,C12,C56,C57,C59の名前が出て来た。

C11は,知ってるけど他の番号の機関車を知らないおいちゃんは,ほんとかいなと思って調べたらあるじゃないですか。聞いて良かった。しかし こんなもんですよ。おいちゃん達が言ってる程 とうの運転してる本人は,機関車うんぬんなんて思ってないもんだよ。なんせ昔は,「泣く子も黙る鬼の動労」と言って国鉄の機関士て言うのは他の国鉄職員と違って機関車,電車を三日間も全国で停めた人達ですからね。

逆にあんまり鉄道マニアだと 逆に業務に差し障りが出てくる方が多いかもしれんな。でも 他にED75の重連の走り方とか C51などの蒸気機関車の走りとか重連の走りなども少し聞いたが おいちゃんもこの年になるまで興味無かったので 爺さんに何十年もいつでも聞く機会ありながら聞かなかったので残念だ

最後の蒸気機関士3





























MMD鉄道ラストデゴイチからの続き1

ejimaさんのMMD鉄道D51大作ドラマ「ラストデゴイチ」が YouTube動画にUPされたので ここで直接紹介だ。



この「ラストデゴイチ」の物語を 眺めていたら 亡くなった女房の親父の蒸気機関士時代の話しを思い出して そういえば 2008年9月に 最後の蒸気機関士という記事を 書いていました。 改めて紹介だ。

女房の親父が 先週享年89歳で 亡くなった。 前にも 少し 本店のここで 何回か 触れて書いて置いたが 約3年間の闘病生活だった。去年は,親父が亡くなり これから益々 こういう機会が 多くなる年齢だ。いや 逆に いつ自分が 先に逝っても おかしくない立場なのだが「人の死を見て己を知る」じゃないけど あと何年生きるんだろうか? とマジで考えると こういうアホを書いて 人生を送るのも まあ それは,それでいいんじゃないのかと 懲りずに今日も書いてるのだ。

そんな 義理の親父さんが 急行八甲田のC62の蒸気機関士をしていた話を 聞いたので 少し書いてみようかと 思った次第だ。東北本線の急行八甲田は,優等列車と呼ばれていた時代の寝台夜行列車だ。

この急行八甲田を調べていたら これが結構面白いのだ。電気機関車に変わった時から この前まで紹介したEF57,EF58が 黒磯あたりまで牽引してたみたいなのだ。まったく知りませんでした。

急行八甲田なのだが どうも 義理の親父さんは, ここに前に書いた 平〜仙台間のC62の話を 聞いていたから 本当かいなと思ったのだが 叔父さんが実際に見ていたと言ってるので 間違いないのだろう

昭和16年に19歳で蒸気機関士になり昭和36年に電気機関士,昭和43年に液体式ディーゼル機関士を拝命(昔は,こういう呼び方だった)して 国鉄民営化の直前まで機関士をして その間 電車などは,運転してないようで 最後は,ディーゼル機関車で 貨物の牽引して 最後まで機関士で 国鉄を退職したみたいだ。

そんな親父さんの 仙台機関区時代の乗務した車輌を紹介して置きます。★印が 運転した事がある 蒸気機関車だそうです。D51も 運転は,したことあるそうです。 

最後の蒸気機関士1

























ここの記事の中に出て来る ここの部分というのが 昔の「井戸端会議VRM3」という ここのブログを始める前の この画像のHPでした。

最後の蒸気機関士2
















今は、ヤフーのジオシティーも 無くなり ここに書いていた記事も 今は、見られなくなったので この最後の蒸気機関士の 記事を もう一度 ここで 紹介する予定だ。 もう親父さんも亡くなって10年以上も経過して その間 自分にも生活環境面でも色々ありましたが それを 思い出しながら紹介するのでね

それにしても 本当に残念なのは、 当時は、それほど鉄道には、興味が無かったので 親父さんに 何十年もお世話になりながら まさか 甲組の蒸気機関士だとは、全然知らなかった事や こちらも 蒸気機関車に関しては、あまり子供の頃から いい思い出というか どっちかというと 怖い思いでしか無かったので 眼中になかったのでね
アクセスカウンター
  • 累計:

記事検索
Archives
livedoor プロフィール

おいちゃん

鉄道模型シミュレーターVRM3専用の分室です。難しい話は,一切ナシ ただレイアウト等を作って自分のお金で楽しむだけの人 大歓迎 !

鉄道模型が 大好きな癖して ひとつも持っていない ただ 人の物を眺めるのが趣味な変なおっさんです。 

QRコード
QRコード
Recent Comments
  • ライブドアブログ